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本日11月22日、私星屑&妻しーぷの2回目の結婚記念日です。
そんな今回のタイトルは、
結婚の唯一のデメリットは「死別」!
本日11月22日、私星屑&妻しーぷの2回目の結婚記念日です。
そんな今回のタイトルは、
結婚の唯一のデメリットは「死別」!
そもそも、
結婚を"メリット・デメリット"で考えているようでは、
"幸せ"には程遠いと考えている私星屑ですが、
あえて「結婚のデメリット」を挙げるとするならば、
それは"「死別」が一つ増えてしまうこと"だと思います。
せっかく最高のパートナーを見つけて、
結婚生活を通して絆を深めていって、
夫婦で幸せになって……、
しかし、その先の死別が確定している。
しかも、およそ片方は残されてしまう。
残酷すぎる…。
私は結婚して、幸せに向かって歩を進めていますが、
それは同時に、最大の不幸へも向かっているわけです。
こう考えると、
「幸せすぎる」と思うくらいに幸せを感じておかないと、
死別という不幸との釣り合いがとれません。
「俺、こんなに幸せでいいんだろうか…?」
とか言っている場合ではないですね。
幸せすぎるくらいで丁度よさそう。
そして、こんなにも大きなデメリットがある以上は、
他のデメリットなんて大した事ないです。
他のデメリットなんて、自力で解決できるモノばかりだし。
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今日は福岡県福岡市で結婚式の最終調整です。
今回のタイトルは、
そもそも「赤の他人と親子になる」というのが無理ゲー
今日は福岡県福岡市で結婚式の最終調整です。
今回のタイトルは、
そもそも「赤の他人と親子になる」というのが無理ゲー
昨日は「嫁姑問題」がないので、夫のぼくは幸せです。という記事を書いて、
嫁と姑が仲良しならば夫は幸せという話をしました。
おおよそ、
妻は夫が幸せなら幸せでしょうし、
母は息子が幸せなら幸せでしょうし、
万々歳だということです。
さらにウチの場合、
妻とぼくの父(嫁と夫父)は、
ぼくを含めて三人麻雀をするような関係で、
ぼくと妻の父(夫と妻父)は、
よく、ぼくが義父にせがんで、
昭和20年代の日本について教えてもらうような関係で、
(実父は昭和30年代前半生まれで、義父は昭和20年代前半生まれ)
ぼくと妻の母(夫と妻母)は、
義母がぼくにパーカーやパンツを買ってくれるような関係です。
つまり、義理ながら無理なく親子してる感じ。
……とはいえ、ですよ。
ウチは幸いにもピタッとハマりましたが、
本来、赤の他人と親子になるって、かなりハードルが高いと思うんです。
そもそも実の親子ですら、うまくいかないことは多々あります。
血がつながっていて、長い時間お互いを見てきた実の親子でも、
「親子」という関係をうまく続けていくのは簡単な話ではありません。
親の心子知らず、とか云いますしね。逆もまた然りでしょうし。
そこいくと、
赤の他人と「親子」としてうまくやれ!
なんて、そんな無茶苦茶な…( ̄▽ ̄;)
こう考えると、
世の中で「嫁姑問題」が頻発するのは、むしろ当たり前だと思います。
うまくいく方が不思議とすら思う。
しかし難儀なのが、
義理の親子でもうまくやっていかないといけない!
みたいな強迫観念っぽいのが蔓延していることでしょう。
それが常識、当たり前だ、みたいな。
ぼくは、
我慢してまで赤の他人と「親子」をする必要はない。
と思っています。
「義理の親子」という関係は、
元を辿れば「結婚」によって成立するわけですが、
そもそも「結婚」というのは、「夫」と「妻」の話なわけです。
「夫と妻がうまくやっていく」ことを最優先で考えないと!
「義両親」とうまくやっていくことに悩むばかりに、
夫婦関係にヒビでも入ったら、それこそ本末転倒です。
嫁姑問題が原因で離婚とか、まさにその典型。
もちろん、義両親とうまくやるに越したことはありません。
これを書いているぼくは、義両親とストレスのない関係を築けています。
しかし、もしも夫婦にとって義両親が障害になってしまうならば、
「赤の他人と親子になるなんて無理ゲーだ」
「別に夫婦が幸せなら、それでいいや」
「親夫婦は親夫婦で幸せになってください」
くらいに思った方が、気が楽なんじゃないかと思います。
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今日は福岡県福岡市で結婚式の最終調整です。
今回のタイトルは、
「嫁姑問題」がないので、夫のぼくは幸せです。
今日は福岡県福岡市で結婚式の最終調整です。
今回のタイトルは、
「嫁姑問題」がないので、夫のぼくは幸せです。
ぼくの妻と、ぼくの母は、仲が良くて、
「嫁姑問題」なんて一切ありません。
……なんて言っている夫は何も知らないだけで、
実はウラでは仁義なき嫁姑バトルが勃発している!
とか、いかにもありそうな話ですが、
ぼくの実母と妻はマジで仲が良いです。
といっても、ベタベタするような仲の良さではなくて、
適度な距離感を保ちつつも、良い関係を構築してるって感じ。
まさに理想的な嫁姑関係だと思います。
しかし世の中では頻発しているという「嫁姑問題」。
なぜウチは大丈夫なのか?
せっかくなので、本人たちに聞いてみました。
(母に)嫁のこと、どう思ってんの?
「愚息を大事にしてくれて嬉しいわ~。
あんなに良くしてくれる女性いないわよぉ」
(妻に)姑のこと、どう思ってんの?
「大好きなアナタのお母さんだし、
私にも優しくしてくれるし、嬉しい!」
はい、ありがとうございました。
この両サイドからの回答に共通しているのは、
お互い、ぼくの向こう側に相手を見ていることだと思いました。
息子を大事にしてくれる、嫁。
大好きな夫の、母。
まず、ぼくという息子または夫がいて、その先に相手がいる。
二人とも、まずはぼくのことを考えてくれているんですよ。
これ自分で言っちゃうのも大概ですけれど。
そして、
姑は、息子を大事にしてもらって嬉しいから、嫁をかわいがる。
嫁は、かわいがってもらって嬉しい。
なにこの永久機関…!
ぼくは幸せのようなものを感じています。
別に、二人がぼくを幸せにしようと仲良くしているわけではありませんが、
二人が仲良しだと、ぼくは勝手に幸せになれるんです。
以上、嫁姑が仲良しだと夫は幸せですという話でした。
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今回のタイトルは、
「結婚は人生の墓場」とかいう情けない言葉
今回のタイトルは、
「結婚は人生の墓場」とかいう情けない言葉
「結婚は人生の墓場」
…なんていう、使い古された言葉があって、
自分が結婚する前は、妙な信憑性があったりもしましたが、
自分が結婚してみて、そんなことはないとよく分かりました。
結婚なんて、ただのシステムです。
結婚自体に、人ひとりを墓場に叩き込むような力はありません。
結婚というシステムを上手く利用して、
より自分の人生を豊かにすればいいだけの話なのに、
つまりは、お互い相手の幸せを願えるパートナーと結婚して、
お互い幸せになればいいだけの話なのに、
それが出来ない人が、
「結婚は人生の墓場」なんていう言葉で、
あたかも"結婚自体"が悪いような責任転嫁をする。
その上、タチが悪いことに、
そういう人たちは、未婚の人に向かって、
「○○くん、結婚は人生の墓場だよ」なんて言っちゃうし…。
マジで情けない言葉だと思います。
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今回のタイトルは、
妻いわく「結婚したら性格が良くなった」
今回のタイトルは、
妻いわく「結婚したら性格が良くなった」
今月で、結婚して丸2年になる私星屑(27)。
ちょっと気になることがあったので、妻しーぷに聞いてみたんです。
星屑「結婚して変わったことってある?」
しーぷ「うーん、結婚したら性格が良くなったかな」
星屑「それは、俺のこと? 自分のこと?」
しーぷ「自分のこと」
星屑「しーぷの性格が、どう良くなった感じ?」
しーぷ「他人の幸せをガッチリ受け止められるようになった」
星屑「それは、あれかな? 自分の心にゆとりが出来た的な」
しーぷ「そうね。結婚するまでは、」
しーぷ「幸せそうなカップルとか見るのツラかったし」
星屑「いわゆる"リア充爆発しろー!"的な?」
しーぷ「うん、そんな感じ」
しーぷ「芸能人の結婚報道とかも、冷めた目で見てたと思うし」
星屑「じゃあそれは、結婚したことで、」
星屑「夫婦・カップル系に耐性がついたってことかな?」
しーぷ「ちょ、なにそのゲームみたいな…( ̄▽ ̄;)」
しーぷ「というか、そういうのに限らずに、」
しーぷ「いろんな人のいろんな幸せを素直に祝福できるようになった」
しーぷ「って感じかな」
星屑「え、マジで? そんなレベルになったの…?」
しーぷ「うん、今だと、本当にそんな感じ」
星屑「マジで性格が良くなってるじゃねーか…!」
私星屑の見解としては、
「結婚」自体に、"自分を幸せにしてくれる効能"のようなモノは一切ない
と思っています。
「自分を幸せにするのは(できるのは)自分だけ」というのが持論です。
それでは妻しーぷの話と矛盾しそうな感じですが、
妻しーぷは、きっと結婚してから前を向けたんだと思うんです。
結婚したから自動的に、
「いろんな人のいろんな幸せを素直に祝福できるようになった」
…というわけじゃない。
結婚して、自分の足で幸せへ踏み出した過程で、
「いろんな人のいろんな幸せを素直に祝福できるようになった」
という方が自然です。
妻しーぷは、
結婚を良いキッカケにして、幸せに向かって歩き出せたんだなァ。
と、私星屑は嬉しくなりました。
「結婚」って、"キッカケ"として使うのに最高の素材なんだと思います。
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今月末に、入籍から2年越しとなる結婚式を控えている私星屑。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「夫婦」にとらわれずに、幸せを追えばいい。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「夫婦」にとらわれずに、幸せを追えばいい。
前々回は「俺が妻を幸せにしてやる!」は、もう古い。
前回は「妻が自分で幸せになれる」という保険。
…という記事を書きました。
テーマは「妻を幸せにすることについて」なんですが、
その方法が、
「俺が妻を幸せにしてやる!」
…ではなく、
「幸せのベースは妻に自作してもらって、俺はそのサポートに徹する」
というお話です。
さて、これってある意味、
妻の幸せを妻に丸投げしちゃうわけですよ。
手を出すにしても、サポート程度。
では、妻が妻の幸せを追っている間、俺は何をするのか?
答えは簡単で、俺は俺の幸せを追うんです。
夫婦が別々に幸せを追うのは寂しいように見えるかもしれませんが、
妻の幸せを夫が100%叶える。
夫の幸せを妻が100%叶える。
…どちらも無理な話です。
そんなことが出来るようになるほどの力は、婚姻届1枚にはありません。
だったら、
夫婦というクサリで縛らずに、それぞれ自由に幸せを求める方が、
ぐっと幸せを引き寄せられるに決まっています。
逆に、あまりにも「夫婦」にこだわりすぎて、
伴侶が自分で幸せになっちゃったら面白くない。
伴侶が自分以外の人間に幸せにされたら面白くない。
自分が伴侶を幸せにしないと納得できない。
…とかなっちゃうと、もうそこに幸せがあるとは思えません。
妻には最短距離で幸せに近づいてもらいましょう。
そして、妻に「私、こんなに幸せでいいんだろうか…?」とか思わせないくらい、俺は俺で幸せに近づいておきましょう。
遠慮なく、夫婦で幸せになりましょう…!
ここ数日、唐突にポエムを書き連ねてしまいました。
いつもボードゲーム記事ばかりなので、
たまにこういうのも書いてみたくて…( ̄▽ ̄ )
明日からは、また通常運行に戻りまして、
しばらくボードゲーム記事が続く予定です。
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今月末に、入籍から2年越しとなる結婚式を控えている私星屑。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「妻が自分で幸せになれる」という保険。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「妻が自分で幸せになれる」という保険。
前回は「俺が妻を幸せにしてやる!」はもう古い。という記事を書きました。
妻には"自分で"幸せになってもらって、
俺は、その"サポートだけ"をするよー。
まちがっても、邪魔になるようなことはしないよー。
的な感じ。
RPGゲームで例えると、
戦士系ダンナ「俺についてこい!」
ではなくて、
僧侶系ダンナ「サポートは任せろ!」
的な感じでしょうか。
さて、これには、
"俺が勝手に考える妻の幸せを押し付けてしまう"ことを防ぐ
という効果に加えて、もう1つ狙いがあります。
"俺に依存させない"という狙いです。
いや、まァ、夫婦ですし、
お互い全く依存し合わないのも問題ですが、
ここで言いたいのは"依存のしすぎ"です。
もし妻が、
「ダンナにしか私を幸せにできない!」
とかいう状況になっていて、
いきなり俺が不慮の事故でいなくなってしまったら。
誰が妻を幸せにするのでしょうか?
俺が言うのもアレですが、
最愛の夫を亡くしてしまった場合、
そこから立ち直る大変さは生半可ではないでしょう。
それでも、妻の人生は続いていきますので、立ち直らなければならない。
このとき、
妻が妻を幸せにする術があれば、そこが突破口になると思うんです。
そこから、また世界を広げていって欲しい。
そして、続く人生でたくさんの幸せを感じ続けて欲しい。
だから、
「妻が自分で幸せになれる」
という保険をかけておくわけです。
すぐ極論に持っていってしまうのは俺の悪いクセですが、
人間、次の瞬間にどうなっているかなんて分かりませんからね。
それは、「ダンジョンクエスト」でイヤというほど学びました(笑)
さて明日までポエムを書いて、明後日からはボドゲ記事に戻れそうです。
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今月末に、入籍から2年越しとなる結婚式を控えている私星屑。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「俺が妻を幸せにしてやる!」は、もう古い。
その準備に追われて、なかなかガッツリとボドゲ記事が書けないので、
さくっと「結婚観」の記事とか書いてみたいと思います。
今回のタイトルは、
「俺が妻を幸せにしてやる!」は、もう古い。
では、逆に何が新しいかというと、
「俺は俺を幸せにする!」
そして、
「妻は妻が幸せにする!」
以上。
え? それって結婚した意味あるの?
って思うかもしれませんが、ちょっと聞いてください。
あなたは、自分以外の人の心の中を覗けますか?
もちろん無理ですよね。
そして、その人にとっての幸せは、その人の心の中にしかありません。
本人にしか見えないんです。
見えないものを、他者がどうこうは出来ません。
見えている本人に、なんとかしてもらうしかない。
だから、
妻の幸せは、妻にしか見えないから、妻自身で幸せになってもらうしかない。
「妻は妻が幸せにする!」
というわけです。
それでは俺は何をするかというと、サポートをします。
妻が幸せになろうとする上で、
「手伝って」と言われたら、全力で手伝う。
「ちょっと一人にして」と言われたら、放っておく。
イメージでは、妻がマラソンを走っているのを応援する感じでしょうか。
邪魔にならない程度に。
結婚したからといって、幸せがドッキングするわけではありません。
俺には俺の幸せがあって、
妻には妻の幸せがあります。
「俺が妻を幸せにしてやる!」と意気込むよりは、
「妻の幸せをサポートしよう」くらいのスタンスでいる方が、
結局のところ、妻の幸せに近づきやすいと思うんです。
そして、妻の幸せそうな顔を見て、俺も幸せになる。
「妻の幸せが、俺を幸せにする!」
これです。
結婚した意味は、確かにあります。
明日も忙しいので、こんなことをつらつら書いちゃうと思います。
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